2010年1月31日日曜日

祝300日目のフルムーンパーティー♪

えー、本日、旅立ってから300日目となりました☆ パチパチ☆

しかも今日は満月!!



というわけで、同じ宿のバッパー達に300日祝いをしてもらいました(^^)ww



早いものですね。


「1年で帰る」と言って旅立ったあたしですが、今回の旅の目的である「普段行けない所に行こう=中東、アフリカ、南米」のほとんどにまだ行ってません・・エヘ(^^;



そして、今後の旅路が全っ然決まってません。




なぜなら、7月12日のイースター島の日食に行くか否か超迷ってるからです。

モアイで有名なイースター島×日食って・・・・やばいでしょ?

行きたいでしょ??

世界中から人々が集まってパーティーが催されるとか・・♪







とりあえず航空券を調べてみたところ、全く残席なし!!

しかも宿の価格は10倍以上に跳ね上がるとか・・。


そして南半球であるイースター島は残念ながら7月は真冬です。

宿がないならテントはってキャンプだーいぇい♪って気分にもなれません。








むーどうしたものか・・。



大金払って頑張っていくか、

チリから漁船にでも乗せてもらっていくか、



バッパー仲間に聞いても誰も詳細を知らず、ほんとに未知すぎる状態となってます。

誰か情報持ってたらor誰かイースター日食行くよって人いたら、プリーズ テル ミー!!まじで。よろしく(><)






まぁそんなわけで、あたしはイースター日食に行くか非常に迷ってます。


もしも行くなら、日本に一時帰国した後そのまま南米に飛んだ方がいい気がする・・。

でも、まだ中東もダイバー憧れのエジプトもアフリカも残ってる。




うーん悩ましい!!!

噂ではアフリカでも見れるというので、アフリカで見ようかどうしようか。


それの方が断然費用的にもルート的にも簡単なんだけど・・





でも!!

どうしても、モアイ×日食というスーパーコンビがあたしの頭から離れません。



とりあえずギリギリまで悩んで、結論をだしたいと思います!




いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます☆
世界一周ブログランキング2社に参加してます。
会社やご自宅のパソコンの1日1クリックずつがランキングに反映されます。
良ければ2つともクリックお願いします♪

   ↓ココをクリック!
   にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ       人気ブログランキングへ
                           ↑ココもクリック!

2010年1月30日土曜日

アウシュビッツ強制収容所

★アウシュビッツへの行き方★

アウシュビッツ行きのバスはクラクフ駅の旧市街とは反対側の大きなバスステーションから1、2時間に1本くらいでてます。片道10 Zl(≒300円)
あたしは10時のバスに乗って11時半頃向こうに着き、14時半発のバスで帰ってきました。
アウシュビッツからクラクフ行きのバスの時刻表は、往路のバスを降りたところにあります。



アウシュビッツに到着したあたしは、まず第二アウシュビッツと呼ばれるビルケナウ収容所へと歩いていった。(アウシュビッツ収容所から約3km。無料送迎バスあり)


ビルケナウ収容所はその敷地の広大さ(約175ヘクタール≒53万坪)と、収容者を運んでくるための鉄道が収容所内まで直接つながっていることで有名である。





1944年時点の点呼では男女合わせて10万人の囚人がいたそうだ。


女性囚人が収容されていたレンガ造りのバラックには3段ベッドが所狭しと置かれていた。


腐った藁が敷かれたベッドには、1人が足をまげてやっと寝られるくらいのスペースに、2・3人が寝かされていたらしい。





バラック内にあったトイレ↓



この収容所には水がなく、ネズミの大量発生による環境悪化が深刻であった。

ナチスはいずれ殆どの虐殺設備をビルケナウ収容所に設置、4棟の焼却炉・ガス室、野外焼却所で沢山の命が失われた。




あたしはこれらを見ても、想像ができなかった。

当時の囚人たちの暮らしは、想像できる範囲をゆうに超えていた。


どれだけ辛かったんだろうか。

彼らの辛さなんて、何不自由なく暮らしている今のあたしにわかるはずがない。


ただ、手を合わせて彼らの冥福を祈ることしかできなかった。












ビルケナウ収容所からアウシュビッツ収容所へ向かった。



アウシュビッツ収容所は、1940年にポーランド人政治犯を収容するために設立された。

当初はポーランド人虐殺の場として利用する予定であったが、時間が経つとともにナチスは全ヨーロッパ人、おもにそれぞれの国籍を持ったユダヤ人、そしてジプシーとソ連軍の捕虜をここに送り始めた。

中には、2400キロも離れた所から運ばれてきた人もいた。

多くは密閉された貨車で身動きひとつできないほど押し込まれ、食糧なしで運ばれた。



ここが収容所に選ばれた理由は、街の人口密集地から離れた所にあって、増設そして隔離が十分可能であったこと、また交通の便が良かったことがあげられる。



収容所は設立当時は14棟の1階建て、そして6棟の2階建ての計20棟であったが、囚人の労働力を使って1階建ては全て2階建てに改築され、新しく8棟が増築された。



1942年には28000人の囚人が収容されていたが、平均収容人数は約15000人であった。





収容所の正門には「ARBEIT MACHT FREI働けば自由になる」という皮肉なプレートがかかげられている。


プレートの「B」の文字が上下さかさまになっているのは、囚人のせめてもの反抗であったと言われている。



あたしがここに来る1週間ほど前にこのプレートが何者かに盗まれたというニュースが流れていたが、幸い戻ってきたようだ。





収容された人々は監禁され、飢え、重労働、医学実験、死刑執行の手段で虐殺されていった。


死を宣告されたユダヤ人のほとんどはここに到着してすぐにガス室に送られ、ファイルに登録されることなく殺されていった。

そのため、収容所で殺された人の数をつきとめるのは困難となっている。

研究者によれば、不完全である資料から約150万人の人々が殺害されたという。





ガス室の模型では、シャワーを浴びせるとナチスに騙され歩かされた人々の様子がみられた。

ガス室の天井には、水がでたことのないシャワーが取り付けられていた。

約636坪のガス室に2000人が押し込まれ、ナチスによってチクロンBが投入された。


彼らは20分以内に窒息死した。

その後は死体から金歯が抜かれ、髪の毛が切られ、指輪とピアスがとられた。



ギリシアやハンガリーのユダヤ人たちはナチスに騙され、ナチスから存在しない農場や土地、商店などを購入し、また収容所に着いた人々は自分の財産の最も価値あるものを持参していた。







ある一室にあしを踏み入れた瞬間、鳥肌がたった。

両脇のガラス一面に死者の髪の毛が展示してあったのだ。

その量が尋常じゃなくて、改めて死者の多さを実感した。


アウシュビッツ収容所が開放されたとき、ソ連軍は倉庫に袋詰めされた約7トンの髪の毛を発見したらしい。
それらは本来ならドイツ軍によって本国にあった工場に送られ、マットレスなどに加工される予定だった。


また他の部屋には、死者からとられた義足や靴、眼鏡、トランク、櫛が壁一面に展示してあった。




囚人たちは逮捕内容と収容所へ連行された理由によって、色別の三角ワッペンで識別されていた。囚人の大半は政治犯を示す赤色ワッペンをつけていた。

縞模様の囚人服は生地が薄く、寒さから囚人を守ることはできなかった。

下着は何週間ごとに、または何カ月ごとにしか着替えをもらえなかったため、チフスやカイセンなどの伝染病が流行していた。



囚人の1日の食事量は1300~1700キロカロリーにすぎず、朝食に500CCのコーヒーと呼ばれた液体、昼食には1リットルの水のような腐った野菜で作られたスープ、夕食に黒パンとマーガリン、薬草のような飲み物しかもらえなかった。




双子の子供たちは積極的に医学実験の材料にされた。

心臓へフェノール注射をして殺害されたケースもある。





収容所内には病院があったが、それは衰弱した者や回復する見込みのない者を選別してガス室に送ったり心臓にフェノール注射をするにすぎず、囚人の間では「焼却炉への玄関」呼ばれていたそうだ。






第10ブロックと11ブロックの間は両側から高い壁で区切られていた。10ブロックの窓に付けてある木の板は、そこで行われていた死刑執行を見られないための措置だった。



「死の壁」の前では約数千人の囚人が銃殺された。





絞首台↓
1947年にはアウシュビッツ元所長ルドルフ・ヘスの死刑執行も行われた。




ガス室↓







全てを見終わって、あたしは茫然としていた。

かつてここで数え切れないくらいの命が奪われたという事実が、あまりにも自分と離れた世界のように感じた。

胸を締め付ける悲しい感情だけがあたしのリアルだった。





広島の原爆資料館や沖縄のひめゆりの塔に行った時の方が、自分の中ではリアリティがあった。

胸に押し寄せてくる感情がもっと大きかった。

それはやはりあたしが「日本人」だからなんだろうか。


アウシュビッツでは展示されている写真は外国人、手紙や資料の文章は全て読めない。

だから、自分と離れた世界のように感じてしまうのだろうか。




わからない。






また、あたしは全ての展示を見終えてヒットラーがどんな人物だったのか知りたいと思った。

なぜこ彼はれだけの人命を奪って平然としていられたんだろうか。

間違いなく精神異常者だったんだろうけど、どんな風に異常だったんだろう?



日本に帰ったら本を読もう。

勉強したいことがまた一つ増えた。

(アウシュビッツ収容所、ビルケナウ収容所ともに入場料free。日本語のガイドブック4Zl≒120円 ←アウシュビッツに詳しくなければ購入をオススメします。今回の文章もガイドブックを参照させていただきました。)






いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます☆
世界一周ブログランキング2社に参加してます。
会社やご自宅のパソコンの1日1クリックずつがランキングに反映されます。
良ければ2つともクリックお願いします♪

   ↓ココをクリック!
   にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ       人気ブログランキングへ
                           ↑ココもクリック!

2010年1月29日金曜日

チェコの密室列車

プラハ駅までお見送りに来てくれたフォトグラファーのスターニアとお茶をし、21時半発の夜行列車でポーランドのクラクフに向かった。(プラハ21時半発→6時クラクフ着)

☆カフェで撮ってもらった写真☆





はじめ1000コルナ(≒5000円)と言われたチケットは、ダメ元で言った「日本人」「ディスカウントして♪」の2ことで(それが理由か不明だけど・・^^;)なんと700コルナ(≒3500円)に値下がりした。




・・・公共交通機関でもディスカウントが可能なのね?
言ってみるもんだわ。


窓口のおじちゃんに「Thank you!!」というと、おじちゃんは「さらばじゃ!」と言ってきた(笑)

単なる日本人好きだったのかもしれない。





チェコの列車は、不思議なことに全て(あたしが乗った列車は)8人部屋の個室からなっている。



「クラクフ⇔プラハ間の列車で、寝ている間にカバンを切られ一眼レフを盗まれた」という旅人がいたので、あたしは空いている個室を見つけて中に入り次第鍵をかけ、スヤスヤ眠りにおちた。




これさ、冬のオフシーズンだからこういうことも可能だけど、夏のハイシーズンだったら8人ぎゅうぎゅう詰めなわけでしょ?




きっついゎ・・・。





でも、逆に外人男性と2人とかだと本当に怖いんだろうな・・。



密室だからね。

よく犯罪がおきないなぁ。

いや、おきてるのか・・??




わざわざ個室にする意味がわからない。

マジで・・。



まぁとりあえず、無事ポーランドに着いた。




「ドイツとかに比べたらプラハ駅は雰囲気悪いよー。ポーランドなんかさらに悪いよ。変な人率が格段に増える。」と旅友が言っていたのを思い出し、キュッと身を引き締めた。


宿に荷物を置き、早速アウシュビッツに向かうことにした。
(宿:Dizzy Daisy Hostel 駅から徒歩8分、ドミトリー1泊6€、Wifi free、キッチン有り、朝食1€)



いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます☆
世界一周ブログランキング2社に参加してます。
会社やご自宅のパソコンの1日1クリックずつがランキングに反映されます。
良ければ2つともクリックお願いします♪

   ↓ココをクリック!
   にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ       人気ブログランキングへ
                           ↑ココもクリック!

2010年1月26日火曜日

建築散歩♪ inプラハ

プラハは様々な様式の建築が入り混じっていることで有名である。



何を隠そう、実はあたしは高校3年生の5月まで建築家と医者どっちになろうか迷っていたくらい建築好きなのだ。


と言っても、建築とか建築家の名前には全く詳しくない。

知っているのは大好きなガウディーと安藤忠雄くらいなものである。


でも、建築を見るのは大好きなのだ♪




さてさて、とりあえず「世界でプラハにしかない(らしい)キュビズム建築」にでも行っときますか♪


★キュビズムとは:20世紀初頭にパブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックによって創始され、多くの追随者を生んだ現代美術の大きな動向である。それまでの具象絵画が一つの視点に基づいて描かれていたのに対し、いろいろな角度から見た物の形を一つの画面に収め、ルネサンス以来の一点透視図法を否定した。Byウィキペディア


★キュビズム建築とは:結晶形や鋭角的な幾何学パターン。このシャープな造形が、建築に光と影をつくり、ダイナミズムと立体感を浮かび上がらせる。チェコでしか出会うことのない建築様式である。



地図を頼りに歩いて行くと、なんてことない歩道橋の前に、何の看板もなくソレは建っていた。
ガイドブック曰く「邸宅」らしい↓↓




うーん、確かに今まで見たことない建築様式だ・・。

でも、世界でチェコでしか見られない貴重な建築にしては・・・・特別な管理がなにもされてないなぁ・・。

こんなんでいいのか!!?






そこから徒歩数分の所にある集合住宅。


うーん、なんか素敵!!

かっこいい!!


しかし、さっきの邸宅以上に何の管理もされてないなぁ。

看板も矢印も何も出ていない。

あまりにも普通に建っている。

普通に人が住んでるし、普通にSega fredoなんかも入っている。





・・・・これでいいの!!?

世界的に貴重な建築なんだから、何か保護すればいいのに・・。






場所を旧市街に移し、メインロード沿いを歩く。

キュビズム建築の黒い聖母の家↓↓


すぐ近くに建つ、ゴシック建築の火薬塔↓


その隣に立つアールヌーボー建築の市民会館↓



なんと違う建築様式の2つはつながっているではないか!!

そんなこともあるのね。びっくり(><)


旧市街広場にたつ、バロック建築の聖ミクラーシュ教会。





そのすぐ近くにはゴシック様式の教会や、以前にアップしたゴシック様式の時計塔などもあった。


あたしが周ったのはこれくらいですが、まだまだあるようです。

本当に様々な建築が所狭しとひしめいてました。

素敵な街でした、プラハ★



そんなプラハとも今夜でバイバイ。

夜行列車でポーランドのクラクフに向かいます。

あたしがこの旅で絶対に行きたいと思っていた1つ・アウシュビッツ収容所へアクセスできるポーランドの古都(世界遺産)。

ではではまた明日(^^)/

★下の写真はチェコで有名なボヘミアングラスです↓
かっこいいなーと思うものは、さすが驚くほどの値段(100万とか)でした・・。
いつか、そういうの買えるくらいになったらまた来たいな♪♪






いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます☆
世界一周ブログランキング2社に参加してます。
会社やご自宅のパソコンの1日1クリックずつがランキングに反映されます。
良ければ2つともクリックお願いします♪

   ↓ココをクリック!
   にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ       人気ブログランキングへ
                           ↑ココもクリック!

2010年1月25日月曜日

(日本人+ヨーロッパ人)÷2=◎

気分改め、宮殿の入場チケットを買うため、チケットセンターに行った。




「チケットください。」







「今日はもうおしまいだよ」







え・・!!!??

なに・・・まさか差別ですか?(過剰反応^^;)




「なんで?」とりあえず聞いてみる。





「もう3時半だから。君が宮殿を回るのは20分かかる。僕がこのセンターを閉めるのに20分かかる。ここは4時にはしめなきゃいけないから、もう時間がないんだよ。」





はぃ!!?

4時きっかりに帰りたいから入れてくれないってこと!?



「でも、あたし明日プラハを離れなきゃいけないの。だから今日行きたい。売ってください!」


「うーん・・売るのはいいけど、今日は入れないよ?次に開くのは明日9時だよ」







・・・・・なんなんだー!どうなってるんだプラハ!!



4時に帰宅って、みんなどんだけ早く帰る気だー!!!!!



チケットセンターの係員は他の観光客にも同じことを言っている。

「差別」ではない。






はぁ、しょうがないか。

とりあえず今日は諦めるしかない。







しっかしすごいなぁ・・。

就業時間4時までならせめて4時まで開けといてよ!

係員が4時に帰りたいから3時半にしめるって・・本当むちゃくちゃだわ!

日本だったら間違いなくありえない。



宮殿の門を見ると、既にがっちり錠がしてある。


それ見たら、なんか笑えた。

っていうか、もう笑うしかない。




まじ意味分かんないヨーロッパ人(笑)

適当すぎでしょ!!



日本人と足して2で割ったらきっとちょうどいいんだろうね。






「4時からならタダで入れる」というお城横の黄金小道にいくことにした。


プラハ出身のカフカが住んでた家。




旅人にもらって「変身」読んだけど・・・すごく不思議な本だった。
今まで読んだことない種類の本で、新鮮だった。


小道を通って夜景スポットに出た。

チェコ名物?かはわからないけど、さくさくで超美味しいドーナツをほおばりながら夜景を眺める。



誰が作ったのかわからない雪だるま君と一緒に★





なんか、どうでもよくなってきた!
差別されたのかよくわからないけど、このキレイな夜景に全て流そう。

むしろ、差別されてたならそれで良かったんだ。
ほんの、ほんの少しでも、差別される人の気持ちがわかって良かった。

うん、そうだ。そういうことだ!

得意のポジティブシンキング(笑)



明日はプラハ最終日♪
建築散歩に出かけたいと思いまーす。
ではでは!


↑お城の敷地内にあった素敵な教会




いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます☆
世界一周ブログランキング2社に参加してます。
会社やご自宅のパソコンの1日1クリックずつがランキングに反映されます。
良ければ2つともクリックお願いします♪

   ↓ココをクリック!
   にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ       人気ブログランキングへ
                           ↑ココもクリック!

2010年1月24日日曜日

初めての差別?

プラハ城に着いたのは3時頃だった。

↓途中の橋からの風景★



丘の上から見る景色は最高だった。






兵隊の交代式を見て聖ヴィート大聖堂を見学した。



普段は教会に入ったらすぐ帽子をとるあたしだが、その日はあまりに寒くてつい忘れていた。


すると、入口にいた係員がわざわざ注意しに来た。




「帽子をとれ」





あ、そっか、すみません・・・・と思って辺りに目をやると、帽子をかぶっている人が沢山いる。







・・・・・・・。




いいんです。
帽子をとるのはいいんです。


「現地の人に敬意を払って旅をする」

を旅3モットーの1つに掲げているあたしですから、キリスト教の方に敬意を払って帽子をとるのは全然いいんです。





だけどもさ、なぜあたしだけ注意されるの?


他にもいっぱいいるじゃん?


なぜ敢えてあたしに歩み寄ってきてまで注意するの・・?





その時初めて「差別」という単語が頭に浮かんだ。

差別・・なんだろうか。





旅をしていると「差別」にあったという旅人の話をよく聞く。

特に中東や南米。


幸いあたしは今まで「差別」らしき差別を受けたことがなくて、特に嫌な思いもしなかった。



だから、今一瞬頭をよぎったこの単語が、やけに違和感をおびてあたしの中にくすぶっていた。



なんか割りきれなくて、とりあえず帽子をかぶったまま係員から離れ、素晴らしいステンドグラス達に目を向けて心を癒す。



聖ヴィート大聖堂はミュシャが作ったステンドグラスがあることでも有名で、あたしはそれを探した。




ここにあるステンドグラスは、原色を使った派手なものが多くてどれもカラフルで美しかった。



対してミュシャが作ったものは、落ち着いた色遣いと彼特有の女性美や曲線美がやっぱり最高に素敵だった。








心も癒えた所で外に出ようかな。




・・・と出口に向かおうとした時、半ば小走りで係員が近づいてきた。






「帽子をとれ」









・・・・。

明らかにあたしをターゲットにしている。

あたしにしか注意してない。

他にもいくらでもいるのに。




なんか悲しい気持ちになって足早に外に出た。



いつもブログを読んでいただき、ありがとうございます☆
世界一周ブログランキング2社に参加してます。
会社やご自宅のパソコンの1日1クリックずつがランキングに反映されます。
良ければ2つともクリックお願いします♪

   ↓ココをクリック!
   にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周へ       人気ブログランキングへ
                           ↑ココもクリック!